講師紹介

平塚市・秦野市すずきちほピアノ教室

講師 鈴木千帆

生まれた時は真っ白な赤ちゃん

将来色黒になると祖母に心配される。
三人兄弟(妹、弟)の長女として社宅で育つ。
ベランダの窓から親しい人を見つけると「おばちゃーん!」と手を振るような、とんでもなく社交的な子供だったとのこと。
抽選に当たって(試験があるわけではなく実力とは無関係)県立幼稚園に通うこととなるが、ハサミの使い方を習っている真っ最中に「なんでこんなことをしなくちゃいけないんですか」と先生に聞くようなこまっしゃくれた子であったらしい。
自転車に乗れるようになった頃近所の方からサイクリングに誘われ、大喜びで出掛けたものの下り坂で思い切り転んで顔面を強打、生えたばかりの永久歯(前歯)を欠く。
ピアノは三歳から母の手ほどきで始め、初めての先生に教えを受けるようになったのは年長の時。
入門3ヶ月で発表会に出させて頂き、ブルクミュラーの最初の二曲を弾く。
舞台裏に引っ込んですぐ「お母さん、わたし間違えなかった!」と叫び、その声が会場中に響き渡ったらしい。

母が音楽大好き

両親が教師という家庭の一人娘として九州の片田舎で育った母は音楽が大好きで、ピアノを習いたかったが家も貧しく望みは叶わなかった。
学校にあるオルガンを弾いて心を慰めつつ育ち東京の女子大へ進学、英文科を卒業したが夢を捨てきれず芸大の声楽科を受験するも失敗。
子供が生まれたら絶対にピアノを習わせると決意を固めたそうだ。
そんな母に育てられた子供たちは皆ピアノ教室に通う。
先生は市内で人気を二分する故・加藤福子先生、同じ社宅に住む方からのご紹介で入門。
大変な褒め上手で生徒をのびのびと弾かせて下さり、ソルフェージュ教育をきちんとしてくださったことにはただ感謝するのみ。
楽譜には赤鉛筆でチェック、レッスン中は絶対にお座りにならなかったので、この二点は私も受け継いでいる。
門下生は大変に多く、音大を出られた方も多く発表会では幼稚園から音大卒業生、プロのOGまで50人以上が出演する長大な会だった。
湯山昭先生作曲の会の歌があり、最初に全員が舞台に並んで歌うのが妙に恥ずかしかった。
会の間先生は舞台袖に立ちっぱなしで、これから舞台に出る生徒全員の肩を優しく抱いて送り出して下さっていた。先生の小さな後ろ姿は今も目に浮かぶ。
記念品はいつも中華の焼き菓子で、アーモンドの乗った大きなお菓子は本当に楽しみだった。

小1でエリーゼのために

 
小1で二度目の発表会に出演、エリーゼのためにを弾く。
座るとペダルに足が届かなくて、ほとんど立ったまま弾いた。
家での練習はというと、一回弾くとピアノの前を離れては台所に立つ母に学校での出来事を話し、また一回弾いては立って話しに行き、を繰り返すという集中力の足りない状態であったようだ。
母が見ていないのをいいことに、本を読みながらハノンを延々練習していたりした。
そんないい加減な練習ぶりだったがピアノは学校の先生にも認めて頂いて、合唱や合奏などでいつもピアノを担当させて頂いていた。
2年生の時に引っ越しに伴って今も居住する岡崎へ転校。
富士を一望する田園地帯。
春にはレンゲの花で一杯の田んぼを走り回り、夏は川でカエルやフナを、山でカブトムシを捕まえたりと大いに遊ぶ。
学校の勉強では漢字が苦手で、1年生の時にテストで0点を取る。毎回のテストが張り出されるというシステムで、学年中の皆から0点取ったーと言われてしまいショックを受けてようやく勉強するようになる。
3学期に学級委員に選ばれることが多く、色々な意味で3番手くらいなスタンスだったようだ。6年生の時は児童会に入り、学校行事の企画進行などをするうちに催しの企画や裏方仕事を面白く感じるようになる。
お菓子を作るのが好きになって、友達の誕生日などに手作りのクッキーを焼いたりし始めるが、丁寧過ぎてこね回し、鋼鉄のように固い代物を作っていた。
お教室では4年生から音大進学を目指す上級クラスに変わり、そのための指導をして下さる山内悠子先生の教えを受けるようになる。月2回は地元で、もう2回は日曜の朝9時から先生のご自宅のある国立市で受講、1人で小田急線に乗って片道二時間かけて通うようになり行動半径が広がった。
並行して聴音、ソルフェージュのレッスンにも通い始める。
当時は全国で劇場運動(子どもたちに良い舞台芸術を、から始まり学校では出来ない創造的な活動をさせようという母親たちのムーブメント)が盛んで、事務局長を務めた母に連れていかれる。
通う学校も年齢も異なる仲間が出来て、観劇やイベント、キャンプなどにも参加し充実した毎日。
6年生の夏に祖母の墓参のお供をして3週間ほどかけて大分・宮崎の親戚を泊まり歩く。聞きなれないセミの鳴き声、言葉、
謝恩会の音楽発表で、シューベルト「ます」を伴奏する。
初めてのドイツ歌曲、きれいに弾きたいと願った。

ピアノ中心の生活〜中学〜高校生 

中学入学後初めての発表会でショパン「華麗なる大円舞曲」を弾く。初めてのショパンは本当に難しかったが、大好きになってもっと弾きたいと思うように。
日曜日はいつもレッスン。月2回の国立でのレッスン後は二時間かけて移動、聴音とソルフェージュの受験指導をして下さる先生のお宅に伺いみっちり3時間のレッスン。
遊びに行く暇もなかったがそういうものだと信じ、ピアニストになる、と特に疑問も持たないまま音大受験コースを突き進む。
練習のためにと部活にも入らずにいたが、音楽の先生には可愛がって頂いた。
中学では校内の合唱コンクールで伴奏に練習に、と頑張るが優勝できず大泣きしたことも。
平塚の北極星と呼ばれた中学校は田んぼの真ん中にあり(のどかな環境だった)、吹きっさらしの中を突っ切る自転車通学のおかげで妙に筋肉が付き立派に太い足になる。放送委員を2年務め、学校行事のほとんどを放送室や放送席で過ごし、ますます裏方志向になっていく。
高校は県立平塚江南高校に無事合格。
ここに入れば音大レベルの学科は大丈夫だから、と言われて勉強はほとんどせず、成績が良いとはお世辞にも言えなかった。選択科目で分けられる授業のコースは女子クラスで、共学なのに女子校感覚なのが妙に楽しかった。
校内の合唱コンクールでは中学校からの意地もあり、自由曲一位、総合二位の成績をおさめ大満足。
長期の休みには音大の講習会に通い将来のことを意識するが、音大の先生のレッスンを受けて実力のなさを感じ始める。芸大を受けられない、と自覚した時が(それまで調子に乗って好きなように弾いてきただけに)初めての挫折感だったように思う。

音大へ

国立音楽大学ピアノ科に進学。
実技試験の前日が記録的な大雪で、無事に受験できるかドキドキ。
受験後は合格発表の日までの記憶が全くなく、自覚しているよりも消耗していたようだ(ただ先生が発表の時に新婚旅行中でいらしたので、留守電にメッセージを入れたことだけはよく憶えている)。
大学では自分など大したことはないのだと思い知らされショックを受ける。
レッスンや曲のレベルもぐんと上がり、通学時間が長かったこともあって大学生活を楽しんだりサークルにも入る余裕がない中アニメや漫画に現実逃避し始める。
20歳の誕生日、家族が出払って1人きりで練習していたところに高校時代の親友から花かごが届き号泣。
心が乾いてしまってもう弾けない、歌えないと日記に記している。
ピアノが弾けない、上手でない自分は価値がないと思うようになる。自己コントロールがうまくできなくなり、緊張から思うような演奏は出来ず成績もぱっとしなかったが、かねてから興味のあった声楽の伴奏は楽しく、3年生で受講した名手・小林道夫教授の伴奏法の授業でドイツ歌曲に魅せられた。
声楽科の先輩方のレッスンに数多く同行するうちに伴奏の勉強をしたいと思うようになる。

社会人〜研鑽の日々

大学を出た頃から高校の恩師のお子さんを出張でレッスンさせて頂くようになったのを皮切りに出張レッスンで教え始め、合唱団の指導、伴奏などもさせて頂くようになる。
ピアニストではない自分なんて、と思っていたが、生徒たちの弾けるようになった時の笑顔が本当に嬉しくてやりがいを感じるようになる。
ちなみに恩師からは後に「大学を卒業しても就職もせずにいて心配だったから」と。
恩師をはじめ周囲の方々が温かく見守って下さったおかげで仕事も勉強も続けてこられたことに心から感謝。
多方面から出稽古のお声がかかり移動のため普通免許を取得、車でレッスンに向かうようになったが6ヶ月目にスピード違反で捕まる。
演奏の夢を持ち続け、二年間貯金して東邦音楽総合芸術研究所伴奏法専攻に入り念願だった伴奏の勉強を始め、仕事の傍ら2年通い修了。
在所中にオペラ歌手の先生のレッスン伴奏に入りベルカント唱法に心酔、レッスンのアシスタントを願い出てお許し頂く。
レッスン伴奏にに通いながら日本声楽家協会コレペティトル専科に入所、コレペティトール(オペラコーチ)を目指す。
初めてイタリアで夏季オペラ講習会のアシスタントのチャンスを得て、「蝶々夫人」の稽古ピアノを務める。
必死に準備して初めて弾いたオペラ全曲だったが、力不足から稽古の足を引っ張ることとなり、スズキ役の友人と「これもきっといつか思い出になる」と抱き合って大泣きした。
世界中から集まってきた受講生との音楽の時間は本当に楽しく、やりがいを感じるも、実力不足も痛感し語学その他の勉強にますます励む。
その後もイタリアに行くなど演奏活動が充実するが、出張で行う生徒たちのレッスンも楽しく、勉強していることを反映したいと模索。
ピアノを通してさまざまな世界に興味を持ってほしいと、レッスンでは作曲家を知るために一緒にヨーロッパの地図を見たり、作曲家の生きた時代の絵画作品を見たりなど多方面の視点から音楽を感じられるよう試みる。
生徒は20人くらいになっていた。
テスト前には家庭教師の経験から勉強のアドヴァイスも。
現実逃避のアニメはいつのまにかアイドルに変わっていたが(幼い頃は見てはいけないものと思っていたので、今振り返ると遅れてきた思春期だったとも思う)次第に縁遠くなるが、クラシックではない音楽を数多く聴くうちにこの曲を弾きたい!という生徒の思いを、音楽のジャンルを問わず大切にできるようになったことは収穫だった。
声楽のレッスンを見聞きするうちベルカント発声を学び、伴奏に加え指導も乞われるようになる。
その後も自分で望んで勉強を続けていたはずがコレペティトル専科で伸び悩み、限界を感じるようになる。次第に精神的にも追い込まれていき、演奏での失敗もあって弾くことはおろか音を出すことも怖くなりどうにもならなくなっていく。
そんな中で素晴らしいメンターとの出会いに恵まれ、自分のこれまでを顧みて生きにくさを克服すべく毒親、発達障害、児童心理学などへの導きを得る。
文字通り叱咤激励されて、気づきを得る度に世界が明るくなっていくような感覚を抱きながら演奏の喜びを少しずつ取り戻し始めると同時に、生徒たちの悩みに強く共感できるようになったように感じている。

お菓子の作れるピアノの先生

市内にある金目保育園ピアノ教室の講師を引き受ける。
当初週に2日ということだったが大変にご希望が多かったため、思い切って定期的に伺っていた声楽レッスンのアシスタントを辞めてピアノ教室に力を注ぐことを決意。
保育園では曜日ごとの小さなコンサートを企画して園内の学童保育の子どもたちにも聴いてもらうなど楽しい機会を多く持つ。
もっと何か楽しいことをしたくなり、お菓子を作るのが好きだったことを思い出してブールミッシュ製菓アカデミーに入学。
洋菓子の基本から応用までを6年間学ぶ。
発表会の記念品を手作り菓子にしたり、演奏後にお茶会を企画したりと、かつての経験が役に立った。
先生はみんなの演奏のための裏方さん。
そう思うとこうしたら楽しいかも、とアイディアも湧いてくるように。
保育園の方針が変わりお教室がなくなることになり、思い切って近隣に現教室を開く。
お嬢さんが音楽の先生、という理解ある大家さんとの出会いは本当に幸運だったとしか言えない。
制約のない教室ではクリスマス会なども開催。演奏の後は手作りのケーキで楽しくティータイム。
皆でサンドウィッチを作ったり、それぞれで自由にケーキデコレーションをしたりと楽しみが増える。
楽しいことは分け合うともっと楽しくなる。
音楽も誰かと一緒だともっともっと楽しい、子どもたちにもますます楽しんでほしいと思うようになった。

自慢の生徒

Aちゃん:3歳からレッスンを始め聴音や楽典などにも積極的に取り組み、私立大学附属高等学校音楽科に入学、付属大学へ進学。卒業後は有名レコード会社に就職、現在はプロデューサーとしてCD作成、コンサート開催と大活躍中。
大学の勉強よりもピアノのレッスンで学んだことの方が役に立っている、とのこと。

Bちゃん:ピアノが大好き!K音楽大学を卒業し、演奏活動の傍らY銀行でキャリアを積んだ後結婚・出産。ベビーと音楽いっぱいの生活を満喫中。

Cちゃん:水泳、習字と多才な上学校の成績も常にトップ。音楽大学を卒業、演奏活動を続けながら英語力を生かして華麗に有名企業を渡り歩きキャリアを積んでいる。

Dちゃん:ピアノとバレエ、二足のわらじで舞台度胸ばっちり。保育科を卒業、晴れて憧れの保育士さんに。

Eさん:大人の声楽クラス。80歳を過ぎた今もますますお元気で、素晴らしい美声を朗々と聴かせてくださるテノール。リサイタルを開催し多くの観客から大喝采を浴び、世界的なイベントで第九のソリストを務めたことも。今なお現役でお仕事をなさりながら、ドイツ歌曲からミュージカルまでとレパートリーも幅広く歌を続けていらっしゃる。

Fちゃん:4歳で迎えた初めての発表会では恥ずかしくて出られないと顔を真っ赤にして半泣きになり、みんなが聞いていない時にこっそり弾くのがやっと、というほど内気だった。でも高学年になる頃には「また伴奏ゲットー♪」と言えるほどに上手になって自信もついた。厳しい練習で有名な強豪柔道部で練習に励みながらピアノも着々と上達中。英語力強化のためレッスンでは英語の歌にもチャレンジ、アナ雪Let it goをマスターしつつある。

合唱の伴奏実績
日向小学校、大磯小学校、みずほ小学校、金目小学校、勝原小学校、山王中学校、金目中学校、旭陵中学校、北鎌倉女子学園高等学校、石田高等学校、秦野高等学校、平塚江南高等学校。

保育科合格実績
鎌倉女子短期大学、田園調布学園大学、白鳳大学、東海大学(児童教育学部)

大学進学先

国立音楽大学、昭和音楽大学、早稲田大学、駒澤大学、東海大学、玉川学園大学、

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